福岡屋台の歴史

知っておくともっと屋台が好きになる
屋台の歴史について

終戦後、食糧事情がよくないときからそれははじまった……
戦災者・未亡人・引揚者たちの復興の糸口となったのが屋台(移動飲食店)だった。ただ、あまりに急速に発展・膨張していき、道義的に荒廃した世相と無統制放任状態の中、衛生面を不安視したGHQ(連合国軍総司令部)の指示もあって、厚生省はついに飲食店営業緊急措置令を出して屋台(移動飲食店)の全面廃止を決めた。このことをきっかけに1950年7月に露店飲食店営業者50余名が福岡市移動飲食業組合を創立し、翌8月、福岡市長に対して嘆願書を提出したが残念なことに却下された。その後、再三再四にわたる福岡保健所への接触を繰り返し、二回目の嘆願書の提出もしたが、営業問題に関しては福岡市議会の厚生委員会にゆだねられることになる。その後の数回の交渉でも決着がつかず、1952年6月に市から翌7月1日以降営業禁止の行政処分が出された。これに対して、組合側は処分不当を理由に福岡地方裁判所に処分無効の訴えを提起したが、1953年3月に無許可営業(露店飲食店営業者115名)であるため却下される。
そして、故河田琢朗元福岡県議会議員のご尽力を得て、福岡・久留米・若松で組合連合を成立、その後八幡・直方・飯塚・大牟田・戸畑を加えた、河田氏には初代会長に就任していただき県連運動を展開した。河田氏は福岡県に働きかけてもらちがあかないとみて直接厚生省(中央)と交渉に入り、その結果、1955年6月27日、全国的に屋台は許可されることになる。
ピーク時は400店強あった屋台も、1970年代以降徐々に都市化が進むにつれ、道路使用許可の名義変更不可が福岡県警より正式に打ち出された。それを受け屋台の実情を調査するため、1996年に福岡市は市長の私的顧問機関として有識者数名を募り「福岡市屋台問題研究会」を設置し、様々な角度から屋台を研究することになる。その後そういった問題点を考慮しつつ2000年7月には「福岡市屋台指導要綱」を施行、さらに2012年にはこれからの住民と屋台との共生のあり方について検討することを目的とする「屋台との共生のあり方研究会」を設置し、この研究会の提言を受け、2013年9月1日に「福岡市屋台基本条例」が施行され現在に至っている。

この『ザ・屋台(酔ってかんね)』は屋台自身のブランディング化や、観光促進の一端を担うための方法を日本全国の方々と一緒に考え実行するサイトとしてオープンしました。

屋台の新しい歴史はここからはじまりみなさんがつくります。ここから先の歴史を私たちと一緒につくりませんか?
◎2014年10月1日オープン!

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