あの老舗屋台が閉店。45年間の歴史に幕…
長年、長浜で親しまれてきた「長浜ナンバーワン」。
福岡では知らぬ人はないと言っても過言ではない老舗屋台が閉店するという話に多くの人が驚いた。
2015年3月31日、長浜屋台の老舗「長浜ナンバーワン」が閉店することになった。
長浜ナンバーワンといえば、福岡市内を中心に8店舗あるラーメン屋の有名店。その発祥である屋台長浜ナンバーワンが、その灯火を消すということで多くの人が驚いた。

今回取材に関して、現長浜ナンバーワン(店舗型)の代表取締役である、種村社長にお話を伺いました。

初代大将(種村社長のお義父さん)が「昇龍軒」という屋号だった屋台を、長浜で1番になりたいという思いから、当時はまだ珍しかったカタカナの屋号「長浜ナンバーワン」に改名したのが45年前の1971年。どの街でも、駅のまわりには屋台が並んでいるのが当たり前だった頃である。 屋台を始めた当初は、なかなかお客さんが増えず、店を畳んでしまおうかと何度も悩んだという。しかし、初代大将がラーメンの味に対する自信とこだわりを捨てることはできなかった。
「真面目にコツコツやっていればきっとうまくいく」という思いで屋台を続けた。
そんな初代大将の強い思いは、徐々に実を結ぶことになる。ある時から「品数は少ないけど、何を食べても美味しい」という評判が聞かれるようになったのだ。そこから徐々にお客さんが増え、平坦ではなかったものの、こうして名実ともにナンバーワンの繁盛店へなることができた。

そんな絶頂期に、種村社長は初代大将とともに屋台に立つこととなる。
「当時は毎日が売上げ更新の日々で、いい勉強させてもらいました。」と語る種村社長。
その頃はたくさんのお客さんに屋台を楽しんでいただくため、屋外にテーブルを広げたりしてたことから、批判を受けたこともあったが、長浜に今でもある屋台用に作られたの公衆トイレは、毎日初代大将と2人で掃除を欠かさなかったという。

2002年からは現大将が中心になって初代大将と店を続け、種村社長は店舗長浜ナンバーワンの経営に専念するために、屋台の一線からは退いた。
しかし初代大将も、体調を崩してからは徐々に現役から退き、今では屋台に立つことははなくなったものの、味は現大将にしっかり受け継がれている。そそんな中、昨年開催された「屋台フェスティバル」では、初代大将が餃子を包む職人として参加。体調を心配されていた初代大将が驚くほどのスピードで、現役時代のように結構な数の餃子を包んでいた。「あの時だけはものすごく元気で、現場に戻れたのが嬉しかったんだと思う。ただ、そのあと2日位具合悪くて音を上げてましたけど(笑)」と種村社長。

そんな屋台長浜ナンバーワンだが、今年に入り閉店を余儀なく迫られた。

普通の店ならば、現大将に代を譲ればいいだけの話だが、屋台ではそうはいかない。福岡の屋台には「屋台の運営権利の代を継ぐことはできない」という条例がある。今では福岡の代名詞ともなった屋台。
公道での営業であるからこその条例であることは仕方のないことかもしれないが、「長浜ナンバーワン」の閉店という話を聞いて、このままでは福岡の屋台全体が閉店せざるおえなくなる…という不安を拭いきれない。
とはいえ、市や行政では屋台の存続を提言してくれている。記者も屋台を利用する客のひとりとして、どうか福岡の屋台文化を守っていただきたいと切に願っている。

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